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レヒム・ヤスン・キャイナミの「死の薔薇」

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レヒム・ヤスン・キャイナミ

 

「死の薔薇」(原詩)


私たちの間で満ちる月が

冷たい廊下に心を誘う

憂鬱な文字で記され壁に刻まれた人生の物語が

ゆっくりと剥がれ落ちる

指の血痕を拭き取り

傷の手当てを君がしてくれたことが

幼い子供となって私たちに近づく


目的の地から落ち葉が降る

手に秋色の鞄

死の招待状と香りのするプレゼントが詰まっている

生と死が交差する朽ちかけた古木の橋を渡る

 

ウイグル新鋭詩人 選詩集(芽生えはじめる言葉たち)

ムカイダイス,河合眞編訳  より

 

 


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死の薔薇(ウイグル詩) on Vimeo

 


編詩・作曲 historyninjin 2024/1/6(土)


満月が冷たい廊下に

心を誘い

剥がれ落ちる

憂鬱な文字で刻まれた物語が

剥がれ落ちる


指先の血を拭きながら

手当をしてくれた君

幼い子供の姿となりて

私たちに近づいて来る

 

落ち葉が降り

つみ重なって

死と生が交わりて

渡る

 


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レヒム・ヤスン・キャイナミの詩は以前「アッラーが巡り合わせたがゆえに」という詩に作曲しました。お聞きください。

https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2021/05/29/122913

 

原詩には「手に秋色の鞄」と言う表現があります。「鞄」という言葉を使った詩には、ゴージャ・ムハメット氏(故人)の詩「命の舞」があります。その中に「(私の心は)神が旅する鞄だ」という表現がでてきます。ウイグルの人にとって「鞄」は何か特別の意味を持っているかのように思われますが、どなたか何かご存知の方はおられませんか?

https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2021/07/11/063036

激しさと個人の信念を内に含んだ詩だと思います。宗教的な表現をするならば、「涙の信仰告白」と言うことができるでしょう。

 

死の薔薇の「薔薇」は、象徴的比喩的なものではないかと思います。が、それと同時に形象として(実際のバラとして)考えるならば、おそらく「ダマスカスバラ(ダマスコバラ)」ではないかと思います。ダマスカスバラはムカイダイスさんの詩「千夜一夜」の中に登場します。地に根ざした気品のある、香り高いバラです。

https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2021/10/18/070504

 

詩の中に直接「薔薇」はでてきません。どうして「死の薔薇」という題名なのか、私にはよく分かりません。でも、どんな色の薔薇だろうか想像しました。「指の血痕を拭き取り・・・」という表現から赤い血の色のようなバラだろうなと思い、赤いバラを「死の薔薇」と解釈して画像を探しました。地上だけでなく宇宙にも赤いバラ星雲がありますね。そんなところから「死の薔薇」は地上のものと天上のものを繋いでいる何かなのかも知れません。

 

また、原詩にある「朽ちかけた古木の橋」の画像を探して愛媛県徳島県にある古い橋の画像をアップしておきました。詩の言葉の意味とはおそらく違ったイメージのものなのでしょうが、それでも画像から何かの感興のようなものを受けとることができれば幸いです。

「朽ちかけた『古木』の橋」という言葉から、私はタヒル・ハムット・イズギル氏の詩、ダスマン(長編叙事詩)の「片思い」の第一連にでてくる表現、「孤木を   古びた粉屋を   廃墟の壁を・・・住み処にする」を連想しました。タヒル氏の詩にでてくる「孤木」とレヒム・ヤスン・キャイナミ氏のこちらの詩にでてくる「古木」に注目しました。何か共通するものを表そうとしている表現なのだろうと思います。その表現のさらに先にあるものを探してこれからも思索を重ねていこうと思います。

https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2022/12/04/070026

 

 

赤い花からは、アリムジャン・メットカスィム・ゲムナキ氏の「炎の花」を思い出します。内に秘めた熱い恋の詩です。もしかしたら、「死の薔薇」にも伏線として恋の思いが隠されているのかも知れません。

「バラ」で思い出しましたが、ムカイダイスさんの詩「恋」(500年の恋)の中にも「バラ」が、「君が他人の瞳に映っていた時   私は君の香りを   死んだ薔薇にあげてしまった」という言葉で出てきます。何らかの原因で失ってしまった恋を悲しく見つめる主人公の切々とした沈黙に近い思いが詰まっているように私には感じられます。

ムカイダイスさんの詩に出てくる「死んだ薔薇」とレヒム・ヤスン・キャイナミ氏の詩に出てくる「死の薔薇」とは同じ系統の何かを示す隠語なのかも知れませんね。

https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2021/06/09/062656

 

言葉がちょうどキャッチボールのように、ふいに心のプールの中から姿を表しては消えてまた現れるというような根底で繋がっているかのような運動をしています。まるでどこかに球体の宇宙のような言葉の世界があるように私には思われます。私はウイグル詩に作曲しながら、いつも興味が尽きない世界を感じています。

 

最後バラに繋がるテーマを歌った「愛は嘘から始まる」(アブドゥレシット・エリ氏の詩)をここに置いて、ウイグル詩よもやま独り言を終わります。

https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2021/05/29/212413

「愛が一本のバラであるのなら」

https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2023/09/30/030759

 

「死の薔薇」に寄せるエッセイ↓

https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2024/01/09/014724

 

 


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