Ninjin Music Blog

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「悲しみの永遠の石」に寄せて

作曲者による「悲しみの永遠の石」への自由な感想です。お付き合い願えれば嬉しく思います。

 

この詩はまれに見るラブソングです。

ふさわしい形容詞が見つからないほどです。

作詩者はどのような人生航路(行路)を歩んでこられたのかわかりませんが、人間の実存の世界を凝視して詩をしたためてこられたのでしょう。

 

作者(作詩者=「私」)は悲しみだけが刻まれた永遠の石となって、あなたの名を呼び続ける・・・と心の内を披歴してその言葉を置いてまた詩の世界に帰って行ってしまったかのようです。

 

詩でしか語れない恋の思いの切なさに満身創痍となった詩人の絶望的な無念な思い(虚しさ)を受け止めてくれるのは、ただ「あなた」だけ。

 

全ての夜も、全ての昼も、全ての時間が「あなた」なくして、意味を持たず、始まらない。

 

もはや深く悲しみが刻まれた石となって、あなたの名を呼び続けるしか「解」のない世界を目の前に、黙って佇んでいる詩人の姿を見ます。実存の深淵で人はその世界と向かいあわなければ真実の自分を見いだすことはできないのではないかと思います。

・・・が、人は往々にしてその世界を見つめることから目を反らして、時間の波間を漂っているのが常のようです。

 

作曲にあたって「字母」の言葉の意味が分からなかったのですが、ともかく作曲を続けていきました。ある所まで作曲した所で、ふと気になって字母の意味を調べて見ました。この詩の場合、「字母」とは詩を詠む人が詩の言葉を発する前提になっている根源的なものを指し示すのだろうと思われます。

 

人間の存在の依って立つところの根源のことをおそらく「字母」と言う言葉を借りて表現したのだろうと私は解釈しています。その字母という言葉が前半と後半で2回使われています。これがこの詩の骨格(つり橋で言うと、支柱と支柱、その二つの頂点を一本のラインが緩やかにしなりながら繋がっている様を想像しました。そのラインからは、下の橋げたに向かって複数の縦のラインがまるであばら骨のように伸びて、橋の強度を保っている・・・)を作っていると思われます。激しく、かつ静かな悲しみの中にありながら悲しみを越えた愛の歌です。

 

ここで、音楽的な観点から「字母」について述べて見ようと思います。昨年1月にむかいだいすさんと出会ってからウイグルの詩に作曲するようになったのですが、第1曲の「止まらぬ涙」・・・

https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2021/07/11/072527

・・・から始まってこの「悲しみの永遠の石」・・・

https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2021/08/14/120253

・・・でウイグル詩への作品は64曲目になりますが、この間自分の作品を見て、ふと気づくことがあります。同じ音程を保って二つの音が1~2小節反復する音形がしばしば登場することです。それは第1曲目の「止まらぬ涙」からしばしば見られる一つの特徴と言えるでしょう。

 

その音形によって構成されるメロディーが作曲者である私の作品の私らしさを醸し出しているように思われます。そして、この音の使い方(音使い)が、ある意味、私のウイグル詩への音楽における「字母」になっているのではないだろうかと思います。音韻的な意味での字母とでもいうのでしょう。意図的に出てきたものではなく、ウイグル詩の持つテーマに触れて、どこからともなく湧き出てきたものです。

 

この「悲しみの永遠の石」とよく似た音楽的構造(音楽的な構成)を持っている曲を挙げるとすればレヒム・ヤスン・キャイナミの「血を流す言葉と共に(君の言葉が私のように血を流しているのか)」・・・https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2021/07/21/031730

・・・を挙げることができるでしょう。

構想という観点から見ると、私とあなたの愛の世界を抉(えぐ)り出している「アッラーが巡り合わせたが故に」・・・

https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2021/05/29/122913

・・・でしょう。

沢山作曲をしていくと、階層的に眺めていろんなことが見えてきて面白いですね。


この曲は、むかいだいすさんが一番よくご存知なのですが、3回作り直しました。作り直した箇所は「溜め息をする(溜め息をつく)全ての夜と黄昏の幽霊に化けた全ての昼が『あなた』と始まる一行一行の犠牲になる」というところです。

 

初め私はうっかり『一行一行』を「一行」とだけしか見ていなくてそれで作曲し録音していました。これで完成したと思い、一度アップしました。そしてアップした音楽を詩と比べながら聞いて「一行」ではなく「一行一行」であることに気づき、すぐに録音し直して訂正版をアップし、それで完成したつもりになっていました。

 

その日(といっても昨日のことですが)、何度も何度もイヤホンを耳に聞き直していくうちに、この部分の意味が心のなかで解かれて見えてくるようになったのです。

 

二度めにアップした時は「全ての昼があなた、全ての昼があなた、全ての昼があなた、と始まる一行一行の・・・」としてアップしたのですが、その部分を聞くたびにどうも違和感を感じていたのですが、考えるともなく考えていて、夜、忽然と意味が解釈でき、次のように変えて再度録音し直しました。

 

『全ての昼があなた、全ての夜もあなた、全ての時があなた、と始まる一行一行の・・・』と。

 

こうして現在の形になりました。(^_^)

そして、私の心のなかにあった違和感が消えました。(^o^)

このように詩の言葉を音楽的に展開することで、やっと納得する「解」を得られた思いです。例によって、昨晩は一晩中、そして今日も先程までずっとイヤホンでこの曲を聞いていました。

 

自分でギターを弾いて歌う手前、よく歌えた時とあまりよく歌えなかった時があります。今回は、いい悪いではなく、自分の「我」が出ていない歌い方だなと、何度聞いても飽きない歌い方ができました。いやみがない歌い方でよかったなと思ってます。

(^-^)/

 

最後に一言、この詩の作者にとって「あなた」とは、失われてしまった祖国「東トルキスタン」の甦った姿なのかも知れない・・・としたならどうでしょうか?祖国のことを恋人と見なし、恋人を思うように祖国を思うという世界がウイグルの人々の中にあるということなのでしょう。

牢獄に刻まれた詩「わたしの祖国」

https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2021/08/16/093648

 

                  2021/8/15 historyninjin