この詩の本質は最後の言葉にあるように思われ、何度も繰り返し歌うようにアレンジしました。
〈原文〉
それでも私は鎖に繋がれた犬のように安心している
私のこの哀れな心に
言葉で表し切れるものは無限であるが故に
〈アレンジした意味〉
私の(この哀れな)心は、それでも(鎖に繋がれた犬のように)安心している、なぜか、それは言葉で表すことのできるものは無限であるが故に。
↓
言葉で表すことのできるものは無限であるがゆえに、私はウイグル語で詩を書き記す・・・
いつの日かウイグル(東トルキスタン)が独立することを祈りつつ。
「無限」
私は言葉から意味を探し求め
言葉を失った悪夢から目覚め
早口で喋ることに慣れ
背中に羽が生え出ること(生えていることを)を恐れ
雀のケバブが好きな娘たちを
ホータンの夜のバザールで見かけて
空が大きなドームであることを信じる
私は一人の割礼されたムスリム
タリム盆地を女の子宮に例える
この例えを疑っては苦しむ
国を出ることなく四十五歳になろうとしている一人の民
国境という言葉を死という言葉のように思い
可笑しい状態で元気になる
古代から取り残された一人のシャーマンかもしれない
弟子はとっくに死んでしまっている
ジンが既に消えてしまっている
私は羊の糞 カザフ人の羊飼いの手の中の糞かもしれず
自分が他人の運命を決められると感じる
私は丸の中の曲線
私は老木の若い年輪の中
私は夕焼けの光の輪の中
私は指紋の中
私はこのような詩を書く詩人
これを読む妻はまたわかりづらいと愚痴るかもしれない
友は私を不治の病にかかった男というかもしれない
それでも私は鎖に繋がれた犬のように安心している
私のこの哀れな心に(→哀れな心は)
言葉で表し切れるものは無限であるが故に
ending
それでも私は鎖に繋がれた犬のように安心している
それでも私は鎖に繋がれた犬のように安心している
言葉で表し切れるものは無限であるが故に
それでも私は鎖に繋がれた犬のように安心している
言葉で表し切れるものは無限であるが故に
それでも私は鎖に繋がれた犬のように安心している
言葉で表し切れるものは無限であるが故に
2015年2月 ウルムチ
原詩:タヒル・ハムット・イズギル
日本語編訳:むかいだいす、河合眞
(詩集「聖なる儀式」より)
作曲:historyninjin (2021/11/12)
録音 2022/1/10
「光の中の祖国」(=続「私の居場所」)へのリンク↓
https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2022/01/08/125236
「無限」part2 へのリンク↓
https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2022/01/13/003341
エッセイ「無限に寄せる覚え書き」