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オリジナル楽曲の紹介やカバー曲を投稿していきます

聖なる儀式

    ◆聖なる儀式◆

・原詩: Tahir Hamut Izgil 氏
・日本語訳詩:河合眞氏&ムカイダイスさん
・編詩作曲:historyninjin 2021/3/5 
・録音:2021/3/7

 


聖なる儀式 on Vimeo

 

 

「聖なる儀式」(歌詞)

 

支配された一条の
光が解けていくにつれて
個々の容貌が現れてくる

支配された一条の
光が解けていくにつれて
個々の容貌が現れてくる

風が淫らに両手を広げて
陽光を巻き込んでゆく
私は黄昏を舐めまわし
穴を開ける

通りの灯りは時間の一番上にいる
蜘蛛たちの巣は宙に垂れ下がり
私は雷と握手する

歩行者天国を行く
暗闇から暗闇へと
口許に鳥の羽を咥えながら
樹木の枝に吊るされた乳房が微笑む
私の足が世紀を震わせる
己を震わせる
街を震わせる

頭蓋骨は進化を遂げ原型を失う
服は哀しみの声を上げている
これは真夏
これは自由
それとも忘却か
多くの布切れが
地上で輝く

引き摺られる息をする無数の
霞んだ光の束が地上に
生える
集まる
沈黙に
集まる
沈黙に
浸る
浸る

私は一杯の水に向かって泡を請う
私は一塊のごみに向かって
すみれの懐かしい色を請う

蒸し暑い街路と
永遠に見知らぬままの道
穏やかな発掘
一回の廻り舞台
夜の声は己が吐き出した輪郭を呑む
一滴の清らかな水が
蛇の心臓を呑みこんだかのように
鉄枠で塞がれた窓が
目の前で膨らむ

真っ黒なガラスは喘ぎと祈りに耳を傾ける
文字は死ぬ
画像はバラバラになってゆく
啜り泣きと叫びで充満した頭が
厳かに地面に落ちる
手は汗ばんで
握りしめる
手は汗ばんで握りしめる

解放
流亡
死体の匂いが夜空を彷徨う
蜘蛛の巣は漂流する
一面白くぬられた仮面

記憶は愛に似ている
周りを見渡す

弱った身体を抱きしめてみたくなる
一枚の紙が顔の上で広がる
突然あばら骨が一本欠けていることを気づき
私は無数回聖なる儀式を
行い
行う
行うべきことを
気づく

小鳥が集まる場所には
遺言を埋めて火を熾す
虚無と夢の中で火打石を使って
火を熾す
無を祝宴に変える言葉を地面に敷いて
暗黒で傷口を
塞いで欲望を叶える
暗黒で傷口を
塞いで欲望を叶える

これが稲妻
定め
滅亡
方向感覚を失う
稲妻と握手する
見えることを止めたかのように
捨てられた感覚の中にいるかのように
樹木は街中から消える

私は軽率に近づく
力比べを拒否する
夜の声が世に生きる
惨めな人々を凌駕する

夜の声が世に生きる
惨めな人々を凌駕するから
私は無数回聖なる儀式を行う
私は無数回聖なる儀式を行う 

私は軽率に近づく
力比べを拒否する
夜の声が世に生きる
惨めな人々を凌駕するから
私は無数回聖なる儀式を行う
私は無数回聖なる儀式を行う

 

※「真っ黒なガラスは」のところですが,本人はガラスと発音したつもりですが「カラス」と聞こえます。すみません。それと「それとも忘却か」のところですが平仮名で楽譜を書いていてうっかり「ぼうぎゃく」と濁点をいれそのまま歌ってしまいました。心からお詫び致します。(楽譜を清書する根気が続かず、下書きのまま録音に入ってしまったためのミスです。本当にすみません)

 

●むかいだいすさんのお便り(2021/2/20)

تالانتلىق شائىرىمىز تاھىر ھامۇتنىڭ ياپۇنچە شېئىرلار توپلىمى "ئىلاھى مۇراسىم "دىكى شېئىرلارنىڭ گۈزەللىكى ھەققىدە تەرجىمان بولۇش سۈپىتىم بىلەن گۈل تاپشۇرۇپ ئالدىم .
رەھمەت تاھىر 😊🤭كېيىن مەن مەرھابا ئىككىڭلارغا تەقدىم قىلارمەن 😊

ウイグルを代表する若手トップ詩人Tahir Hamut Izgil の詩集の題名になった名詩を皆様に!
詩集は河合眞先生とムカイダイス共訳です。

 

聖なる儀式

 

支配された一条の光が溶けていくにつれて
個々の容貌が現われてくる
風が淫らに両手を広げて
陽光を巻き込んでいく
私は黄昏を舐めまわし穴を開ける
通りの灯りは時間の一番上にいる
蜘蛛の巣は宙に垂れ下がり
私は雷と握手する
歩行者天国を行く
暗闇から暗闇へ
口許に鳥の羽を咥えながら
樹木の枝に吊るされた乳房が微笑む
私の足が
世紀を震わせる
  己を震わせる
    街を震わせる
頭蓋骨は進化を遂げ原型を失う
服は哀しみの声を上げる
これは
   真夏
    自由
      それとも忘却か
多くの布切れが地上で
輝く
  引き摺られる
       息をする
無数の霞んだ光の束が地上に
生える
   集まる
      沈黙に浸る
私は一杯の水に向かって泡を請う
私は一塊のごみに向かってすみれ色を請う
蒸し暑い街路
永遠に見知らぬままの道
     穏やかな発掘
     一回の廻り舞台
夜の声は己が吐き出した輪郭を呑む
一滴の清らかな水が蛇の心臓を呑みこんだかのように
鉄枠で塞がれた窓が目の前で膨らむ
真っ黒なガラスは喘ぎと祈りに耳を傾ける
文字は死ぬ
画像はバラバラになる
啜り泣きと叫びで充満した頭が
厳かに地面に落ちる
手は汗ばむ
解放
流亡
死体の匂いが夜空を彷徨う
蜘蛛の巣は漂流する
一面の白色は
仮面
   記憶
       愛に似ている
周りを見渡す
弱った身体を抱きしめたくなる
一枚の紙が顔の上で広がる
突然あばら骨が一本欠けていることを気づく
私は無数回聖なる儀式を行うべき
小鳥が集まる場所に遺言を埋めて
虚無と夢の中で火打石を使って火を熾す
無を祝宴に変える
言葉を地面に敷いて
暗黒で傷口を塞いで
欲望を叶える
これが
    稲妻
      定め
        滅亡
方向感覚を失う
稲妻と握手する
見えることを止めたかのように
捨てられた感覚の中にいるかのように
樹木は街中から消える
私は軽率に近づく
力比べを拒否する
夜の声が世に生きる惨めな人々を凌駕する

 

1993年6月 ウルムチ

 

ئىلاھىي مۇراسىم

بويسۇندۇرۇلغان بىر پارچە نۇر ئېرىمەكتە
چىرايلار كەينىمدىن ئايان بولىدۇ
شاللاق شامال قۇچاق ئاچىدۇ
قۇياش نۇرىنى يۆگەپ كېتىدۇ
تىلىم گۈگۈمنى يالاپ تېشىدۇ
يول چىرىغى ۋاقىتنىڭ ئەڭ ئۈستىدە
ئۆمۈچۈك تورى كۆككە يېيىلغان
مەن چاقماق بىلەن قول ئېلىشىمەن
پىيادىلەر يولىدا ماڭىمەن
قاراڭغۇلۇقتىن قاراڭغۇلۇققا
ئاغزىمدا بىر تال قۇش پېيى چىشلەگلىك
دەرەخلەرگە ئېسىلغان ئەمچەكلەر كۈلۈمسىرەيدۇ
پۇتۇم
ئەسىرنى تىترىتەر
ئۆزۈمنى تىترىتەر
شەھەرنى تىترىتەر
باش سۆڭىكىم ئىپتىدائىي شەكلىنى يوقىتىدۇ
كېيىملىرىم ئېچىنىشلىق ئاۋاز چىقىرىدۇ
بۇ
تومۇز
ئەركىنلىك
ياكى ئۇنۇتۇش؟
نۇرغۇنلىغان پارچە لاتىلار يەر ئۈستىدە
چاقنايدۇ
سۈرۈلىدۇ
نەپەس ئالىدۇ
نۇرغۇنلىغان خۈنۈ سىزىقلار يەر ئۈستىدە
ئۆسىدۇ
يىغىلىدۇ
سۈكۈتكە چۆمىدۇ
مەن بىر ئىستاكان سۇدىن مازغاپ تىلەيمەن
مەن بىر دۆۋە ئەخلەتتىن ھالرەڭ تىلەيمەن
كوچا تىنجىق
ھەر بىر يول مەگگۈلۈك ناتونۇش
بىر قېتىملىق ئاستا قېزىش
بىر مەيدان ئايلانما ئويۇن
كېچە ئۈنى شەھەر قۇسقان سىمانى يۇتۇپ تاشلايدۇ
خۇددى بىر تامچە سۈزۈك سۇ يىلان يۈرىكىنى يۇتقاندەك
ئېچىلماس تۆمۈر پەنجىرىلەر كۆز ئالدىمدا كۆپىدۇ
قاپقارا ئەينەكلەر ھاسىراشنى،دۇئانى ئاڭلايدۇ
ھەرپلەر ئۆلۈپ كەتكۈسى
رەسىملەر پاك-پاكىز پارچىلانغۇسى
مېڭەمگە لىق تولغان چىرقىراش ۋە ئېسەدەش
يەنە بىر قېتىم ھەيۋەت بىلەن يەرگە چۈشىدۇ
قولۇم تەرلەيدۇ
بۇ بىر خىل قۇتۇلۇش
بىر خىل سۈرگۈن
جەسەتلەرنىڭ پۇرىقى كېچە ئاسمىنىنى كېزىدۇ
ئۆمۈچۈك تورى ئۇنىڭ ئاستىدا لەيلەيدۇ
ئۇ بىر پارچە ئاق رەڭ
چۈمبەلگە ئوخشاش
ئەسلىمىگە ئوخشاش
سۆيگۈگە ئوخشاش
ئەتراپقا قارايمەن
ئاجىز تېنىمنى قۇچاقلىغۇم كېلىدۇ
بىر پارچە قەغەز يۈزۈمدە يېيىلىدۇ
تۇيۇقسىزلا بىر تال قوۋۇرغامنىڭ كاملىقىنى ھېس قىلىمەن
مېنىڭچە
مەن نۇرغۇن قېتىم ئىلاھىي مۇراسىم ئۆتكۈزۈشۈم كېرەك
قۇشلار توپلىشىدىغان جايغا ۋەسىيىتىمنى كۆمۈشۈم
مەۋھۇملۇق ۋە چۈش ئىچىدە چاقماق تاشنى ياندۇرۇشۇم
يوقلۇقنى تويغا ئايلاندۇرۇشۇم
تىلنى يەرگە ياتقۇزۇشۇم
قاراڭغۇلۇقنى يارام ئېغىزىغا تىقىشىم
ھەۋەسلەرنى قاندۇرۇشۇم كېرەك
مانا بۇ
چاقماق
تەقدىر
بەرباتلىق
مەن تەرەپ تۇيغۇمنى يوقىتىمەن
چاقماق بىلەن قول ئېلىشىمەن
كۆرۈش سەزگۈم توختاپ قالغاندەك
تاشلىنىش ئىچىدە داۋاملىق تۇرىمەن
دەرەخلەر كوچىدىن يوقىلىدۇ
مەن يەڭگىللىككە يېقىنلىشىمەن
كۈچ سىنىشىشنى ئىنكار قىلىمەن
كېچىنىڭ ئۈنى پانىي ئالەمدىكى ئەبگاھ كىشىلەر توپىدىن ھالقىپ كېتىدۇ

1993-يىل ئۈرۈمچى

 

 

●historyninjinより

ヒル・ハムット・イズギル氏の「聖なる儀式」について書いておきます。

 

【1】作曲並びにファイル編集の経緯

 

はじめは詩の難解さに手を出すことが出来ず10ヶ月ほど敬遠していたのですが、むかいだいすさんのお便りを目にしたことをきっかけにもう一度詩を眺めて数日するうち、あるほんのふとした瞬間にこの難解極まりないと思われた詩の中から一片のメロディーが響いてきたのです。


歌の出だしのほんの1~2小節の歌詞のない音だけのメロディーでした。
しかもYouTubeでニュース解説か何かを見ている最中でした。聞こえた瞬間、側にあったギターを引き寄せてノートにメロディーを書き留め、コードをつけました。


それからが大変。その後に続く詩の言葉にメロディーをつける戦いが火蓋を切って落とされたのです。

一度ならずこの10ヶ月間作曲できないなと思って敬遠してきた言葉たちとの戦いでした。


こちらの武器は、心に浮かび上がってきた1~2小節の動機的なメロディーだけ。敵は、今まで作曲を断念してきたのだから、とても無理という諦めに近い重くのしかかってくる思い。


そのようなところから、一小節、一小節、一言、一言にメロディーがつきはじめました。あるところは怒涛のようにメロディーが押し寄せてきたりすることもありました。そのようにして作曲が始まっていったのです。


作曲する時間帯はこの「聖なる儀式」の場合、どういうわけか決まって、仕事を終えて帰って来て、いろいろやって休まなければと思う11時ごろから始まりました。

毎晩2~3時間ずつ、3日かかって、作曲(メロディーライン)が完成。

一段落もつかの間、間断なくわき上がってくるメロディーラインの調整や歌詞の見直し、訂正や補足や補修の連続・・・。

ですから下書きの楽譜は訂正や補足の書き込みの連続。普通はきちんと清書するのですが、今回はしませんでしたというかできませんでした。どうしてかというと、前出の「愛は嘘からはじまる」の時、楽譜を綺麗に清書するだけで2日もかかったので、今回は気が滅入ってしまいそうするだけの根気と体力が続かなかったのです。

 

見切り発車のような状態でしたが録音へ。

 

全曲を通して演奏することは不可能(?)でした。自分が作曲したのに、まだメロディーラインを把握していなかったり、音程を間違ったりして、何度も何度も部分的に録音をし直しました。

そうしながら、何とか最後のフレーズまで録音しました。ファイルをパソコンに転送して取り出し、失敗したところをカットしながら、その次に続く音声データとなるべく切れ目が生じないようにする神経を使う微細な編集作業の繰り返し。

 

音声データに静止画像を埋め込んで動画形式のファイルに変換するためには、この楽曲に相応しい画像を選ばなければなりません。

 

なるべく自分が撮った写真を使いたいところですが、イメージに合うものが見つからないので、ネットから選ぶということになります。

今回は難航し、結局数百の画像と格闘。やっと見つけた画像とコラボして、やっと完成。試行錯誤の連続です。でも何とか最後まで行かなければならないという一種の執念のようなものが、私を突き動かしました。

無我夢中で駆け抜けたという感じ。

(^_^)

 

【2】詩の本質を理解できたのは何十回も聞いてから

 

自分で詩を読み解釈して作曲したにも関わらず、さらに録音を済ませ、その録音ファイルを動画ファイルに編集し終わったにも関わらず、実は私はまだ詩を理解してはいなかったのです。


数日間、毎日時間さえあれば(と言っても、通勤の車の中と仕事を終えて自宅に帰ってからですが)この曲を流し、聞いていました。


最初はこのメロディーラインで本当にいいのか、訂正はないか、見落としや違和感を感じるところはないか・・・というような聞き方でした。

何度も何度も繰り返し聞くうちに、次第に、これ本当に私が作曲したのだろうかという感覚にさえなっていきました。

一晩中寝ながら枕元で音楽を流し寝てしまい、夢の中に音楽が流れ続けるといった状態でした。

 

夢うつつの中で忽然と心に閃いたことがありました。

それは、タイトルの「聖なる儀式」とは何を意味しているのかということでした。

詩の最後の部分で詠まれている「私は軽率に近づく力比べを拒否する」に続く詩の言葉がヒントでした。

 

「私は軽率に近づく力比べを拒否する」それは「夜の声(暗黒の闇の勢力を支配する者の声)が、世に生きる、惨めな人々を凌駕(飲み尽くし支配)するから」、だから私は「無数回、聖なる儀式を行う」。

 

この部分に解答があると私は直感しました。


私はその深い意味を知らず、感ずることもなく詩に少し手を加え、作曲し、録音しただけだったのです。

 

この一文に、この詩全体のテーマが集約され、意味を持ち、歴史的な一つの詩として成立している、と言えるのではないかと思います。


作詩が1993年、ウイグルの情勢は深刻さを増し、中共の過酷な弾圧に対する反抗や暴動で命を落とすウイグル人が出ている状況の中で書かれた詩です。

そういう社会情勢を無視してこの詩を読み解くことは不可能でしょう。

 

「私は軽率に近づく力比べを拒否する」それは「夜の声(暗黒の闇の勢力を支配する者の声)が、世に生きる、惨めな人々を凌駕(飲み尽くし支配)するから」、だから私は「無数回、聖なる儀式を行う」・・・を私なりに読み解くならば次のようになります。

 

私は軽率に暴動を煽ったり起こすことには躊躇する。そうしたいのはやまやまだが、短絡的に今そのような行動に走れば、無辜(むこ)の(罪のない)人々が中共の国家権力と暴力によってどれだけの弾圧を受け悲惨な目にあうか。共に戦い共に行く力を手にしなければ私たちは消されてしまうだろう。そのために、今まで犠牲になった同胞を弔い、世界に助けを求めるために私は私にこの「聖なる儀式」を執り行うことを課する。言葉を持って私はウイグルの民がここにいることを示し訴え続ける・・・と。

 

 

実はテーマの持つ重さを直感した私は初めて読んだ時苦しくなり、私にはそもそも作曲する資格がないのだという内向きの否定的な思いが働き、実に10ヶ月間、心を自分で閉じてきてしまったのだと思います。自分の中に潜む曖昧さ、弱さ、諦めが私を覆っていたのです。・・・



どうか「聖なる儀式」をお聴きくだい。

そして、詩を書かれたタヒル・ハムット・イズギル氏と共に、ムカイダイスさんたち初め多くのウイグルの人たちと共に東トルキスタンの独立を祈りましょう。

 

                 historyninjin

                  2021/5/30