「痛み」の録音を公開することができました。如何ですか?
https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2022/02/10/065222
少し歌いきれていない部分もありますが全体的にわりとバランスが取れた歌い方ができたかなと思っています。
第三連の歌詞で「毎朝」を「毎日」と歌ってしまいました。夢中で作曲していて、詩そのものを走り書きのように書き写したときはちゃんと「毎朝」だったのですが、作曲して楽譜を、同じように走り書きしている時に「毎日」としてしまい、それを清書するときに「毎日」と書き写して、原文を確認しないまま何度も練習して録音したためです。ブログにアップして聞き直して気がついたのですが、「毎日」を「毎朝」のつもりで聞いていただければと思います。ごめんなさい。
もう一つ、やはり第三連の「暗黒」という言葉ですが、日本語のやまとことば的ニュアンスを基調としようとする私の感性から意図的に「くらやみ」という言葉にしました。悪しからずご了承ください。言葉に対する私のポリシーのようなものとお考えください。
2008年5月にタヒル・ハムット・イズギル氏がウルムチで作られた詩で「私はもう知っている」(全部で6連からなる詩)、本日はさらに進んで第3連まで作曲が完了しました。
「私はもう知っている」
1
疲れはてた朝に
夢で見た炎と化する都市
空想がまたもや私の痩せこけた顔から滴り落ちた
笑いを誘う神話と伝説が目から吹き飛んだ
偽りに慣れた手で 赤い唇を抓(か)んだ
魅惑的な瞳を遮って 泣いた
私はもう知っている
神はおそらく心の中で塩になった
天井に見た 一人の娘の懐から目覚めている霧を
2
私はもう知っている
遠く 流離(さすら)い人の君がいる
遥か昔の美しい一人の女
ウルムチの長い冬 夜を私と共にしたいだろうか
体から漂う粟ナンの香り 長い髪を三つ編みにできないだろうか
恋人を愛し切れず死にたくなるのだろうか
星が宿る瞳で私を見つめる
私はもう知っている
苦痛を味わいたくなく 死を恐れる
死にたい けれど
容易い死を願う 常に
祈りの時に死ぬのなら
私と寝ている時に死ぬのなら
まるであの女学生が
夕方に 朝餉(あさげ)の用意をした後に
夜明けには静かに死んだかのように
3
1947年 カシュガル師範大学で学んだ女学生が
近頃亡くなった
彼女の思い出の中には親戚の他 誰もいなかった
中途半端な愛の物語もあった
時に考える あの時代に生きていれば
あの時はきっと日々が興奮 日々が鮮やか
日々が命を護る悲しみ 日々が死
日々が愛
私はもう知っている
歴史が私たちに近いことを 共にいることを
友情の重荷を 愛が病んでいることを
親になることの愚かさを 子供が弱いことを
老いが醜いことを 若さの馬鹿さ加減を
男の偽りと 女の苦しみを
私はもう知っている
すべての思い出がありのままの真実であることを
・・・次から第四連になります。あと残り2ページほどの詩です。完成をめざしてがんばります。
お楽しみに。(^-^)/
2022/2/11 historyninjin