タヒル・ハムット・イズギル氏の詩「秋」
(作曲者による副題「耐えられなくなった川」)
砂漠を歩き果てた川が
海が広がって近くまで来てくれることを
その場に座して待つことにして
水を広げて小さな流れに分けた
しかし水は遠くに残された雪山を
そこに残る雪と氷を想っていた
水は家に帰りたくなり
戻るつもりでいた
それで滝が現れた
波の毛が逆立った
水を渡る人と水で溺れ死ぬ人が
相半ばした
幾ばくかの土地が魚に変わった
水底に残された石には
想念の葦が生えた
岸にあるポプラの木の顔は悲しみで黄ばんだ
挙句の果てに
耐えられなくなった川が
中の水に言った
お前はなんでこんなにも自分勝手なのか
私が凍えていることを感じないのか
2016年3月 ウルムチ
「私はもう知っている」は楽譜の清書をして何度か練習してから録音したいと思います。少し時間をください。
昨日(2022/2/13)、上記「秋」を作曲しました。夜中に目が覚め詩の意味が気になり読み返し、いくつか気がついた点があり、作曲した前半部分に少し手を加えました。少し寝かせて後半部分にもいくつか手を加えてから録音したいと思います。
この次は「朝の哀歌」という詩にとりかかりたいと考えています。
「朝の哀歌」冒頭部分と終結部
己自信の二つの命の間に立っていた
時は始まっていない 終わってもいない
私は恐らくその間の
曖昧な境界にいた
・・・
ああ 聖なる集いよ
目を大きく見開き
私は夢を見ない朝からいつ救われるのか