昨日は広島の日、今日は「平和を築くまで」をアップしました。じつは、だいぶ前から新しいウイグル詩、タヒル・ハムット・イズギル氏の「同罪」という比較的短い詩の作曲に取り組んでいる。
前々回「私はもう知っている」をアップしたのと同時期には既に作曲に着手していたので、ずいぶんと期間が経っている。
最初の部分はきちんと清書してスタンバイしているので、なるべく近いうちにアップしようと考えている。
こんな詩だ。
「同罪」
1
胡桃の木の下で 牝の鵲(かささぎ)が
毛繕いをする
銅が錆びてゆくのを感じながら
私は芝の上を歩き 流浪のあだを
見つけようとしている
2
私たちは若く健やかである
約束を守り 寄せては返す波のように
樹木の苦痛の胎内に回帰する
紛れもない死の故郷に 帰ることを望んでいる
3
樹皮はすっかり剥がれ落ち
胡桃の木は冬眠を迎えている
私は本来の場所に戻る
鵲(かささぎ)を脅かすつもりはない
光で作られた帽子を手にとる
流浪というのは己の邪悪を
あらわにすることである
以下、4連に続いて終わりとなります。
4連はまだ清書していないので省略。
一応ここまで(3連の途中まで)をアップしておこうと思います。
ところで、この詩の本質は一体何なのでしょうか?また、それをどうやったら解明できるのでしょうか。私は作曲しながら、いつも考えています。