作曲が完了しましたとお知らせしてから大分時間があいてしまいました。この間、実はウクライナ紛争の真相を探っており、気が気でない心情の世界をどういうわけか、ずうっとかかえておりました。
まだ余談は許されませんが、漸く和平の道へという声が世界のところどころから上がり始め、私もやっと気になっていたウイグル詩の音楽作品の録音に取りかかろうと思えるようになりました。
数日前、一曲のオリジナル曲を仕上げました。「星の光に思うこと」です。
https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2022/06/15/043901
前後して、この「私はもう知っている」を見直しながら楽譜の清書をしてきましたが、不自然なメロディーラインなど何ヵ所かその都度手直しを加えてきました。そして今朝やっと録音することができるようになったというわけです。
歴史はこれからも様々な曲折を越えて進んでゆくでしょう。私はウイグルの独立を祈り、世界の多様な調和を願い、音楽に心を寄せながら歩いてゆこうと思います。皆様のご多幸をお祈りいたします。
2022/6/18 historyninjin
終曲(結論的な内容の第6連を先にここに置いておきます。お聞きください)
私はもう知っている
私のアイシャム アブドワハヒットという名の
叔母が唱えた言葉がある
「神は自分で結んだ紐を自分で解いてくれる」
「私はもう知っている」
全曲
※ほんの少し元の詩に変更を加えたり、反復したりして歌っています。
1
疲れはてた朝に
夢で見た炎と化する都市
空想がまたもや私の痩せこけた顔から滴り落ちた
笑いを誘う神話と伝説が目から吹き飛んだ
偽りに慣れた手で 赤い唇を抓(か)んだ
魅惑的な瞳を遮って 泣いた
私はもう知っている
神はおそらく心の中で塩になった
天井に見た 一人の娘の懐から目覚めている霧を
2
私はもう知っている
遠く 流離(さすら)い人の君がいる
遥か昔の美しい一人の女
ウルムチの長い冬 夜を私と共にしたいだろうか
体から漂う粟ナンの香り 長い髪を三つ編みにできないだろうか
恋人を愛し切れず死にたくなるのだろうか
星が宿る瞳で私を見つめる
私はもう知っている
苦痛を味わいたくなく 死を恐れる
死にたい けれど
容易い死を願う 常に
祈りの時に死ぬのなら
私と寝ている時に死ぬのなら
まるであの女学生が
夕方に 朝餉(あさげ)の用意をした後に
夜明けには静かに死んだかのように
3
1947年 カシュガル師範大学で学んだ女学生が
近頃亡くなった
彼女の思い出の中には親戚の他 誰もいなかった
中途半端な愛の物語もあった
時に考える あの時代に生きていれば
あの時はきっと日々が興奮 日々が鮮やか
日々が命を護る悲しみ 日々が死
日々が愛
私はもう知っている
歴史が私たちに近いことを 共にいることを
友情の重荷を 愛が病んでいることを
親になることの愚かさを 子供が弱いことを
老いが醜いことを 若さの馬鹿さ加減を
男の偽りと 女の苦しみを
私はもう知っている
すべての思い出がありのままの真実であることを
4
こんなある早朝
腰に白 青 赤 黒布を
巻いた坊さんが祭りにやって来る
目がかすみ 体が汚れ 姿はみすぼらしく
されど 尊く 神々しい言葉
振る舞いは謎に満ち
掌を私に突き出す
私の取り分をよこせ友よ アッラーの名において
私は何を言おうか 何を彼に与えようか
彼に付いて荒野に行こうか
マザールに バザールに 山に 園に
捕らえさせようか自分を
蛇とさそりに 虱(しらみ)とダニに
私はどうすればよいのだろうか
あの世とこの世のどちらを考えようか
私はもう知っている
私たちが必ず死ぬということを
5
私はもう知っている
最後の審判の日は岩が大切にされ
地に触れることなく手渡しでされるらしい
最後の審判の日は世の中が炎と化し燃え
一本の若草の陰に四十人の男が身を寄せる
最後の審判の日は切ない歌声を響かせ
魔女がロバになってやってくるらしい
最後の審判の日は切り捨てられた爪が私たちを救うらしい
6
私はもう知っている
私のアイシャム アブドワハヒットという名の叔母が唱えた言葉がある
ーー神は自分で結んだ紐を自分で解いてくれる
2008年5月 ウルムチ
原詩:タヒル・ハムット・イズギル
日本語編訳:むかいだいす、河合眞
(詩集「聖なる儀式」より)
作曲:historyninjin 2022/2/12
録音:historyninjin 2022/6/18
参考までに
「星の光に思うこと」
https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2022/06/15/043901