Ninjin Music Blog

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遭うために来た


遭うために来た on Vimeo

「メシュレップ(歌と踊りの宴)へのメロディー」

    ◆逢うためにきた◆

原詩:ババ・レヒム・メシュレップ
(Baba Rehim Meshrep)
1641~1711 スーフィー詩人:ウイグル

原詩の日本語訳:むかいだいすさん
編詩&作曲:historyninjin 2020/12/9

             録音2020/12/29

【歌詞】
月の如く美しい君の顔を見るために
月の如く美しい君の顔を見るために来た
恋の炎でこの身を焦がすために私は来た
君の美しい髪が私の煩悩を乱し
君の美しい髪が私の煩悩を乱し
その妙薬を君に問うために
その妙薬を君に問うために来た

潜水士になり 君の深海に潜り
探し求めた一粒の真珠を取るために来た
探し求めた一粒の真珠を取るために来た
探し求めた一粒の真珠を取るために私は来た
花の如く美しい顔の
花の如く美しい君よ
なぜ来たかと問うているのだろうか
なぜ来たかと問うているのか

君の美しさに魅せられて我を失うために来た
君の美しさに魅せられ我を失うために来たと答えよう

君の美しさ目の当たりにして我を失った
君の美しさ目の当たりにして我を失った
痴情になり恋で狂うために来た
狂うために来た

サーキー(酒童)よ酒杯を用意したまえ
サーキー(酒童)よ酒杯を用意したまえ
愛と哀しみの酒を呑むために来た
愛と哀しみの酒を呑むために来た
愛と哀しみの酒を呑むために来た
愛と哀しみの酒を

このメシュレップに慈しみの門を開けたまえ
君への愛に命を捧げるために来た

Guitar&Song historyninjin 2020/12/29

曲想やメロディーは日本語に翻訳された詩から本人の経験的な範疇からイメージし紡ぎだして構成したものです。ムカームという音楽形式があるということすら知らない者がある意味勝手に心を遊ばせてイメージした楽曲であると捉えてください。(^_^)

 

◆ムカイダイスさんより

(文と詩の訳 ムカイダイス )
ウイグルには「12ムカーム」と呼ばれる音楽体系がある。

「ムカーム」は、今のウイグル語で「整えられた音楽の集大成、音楽組曲」そして「楽器演奏、歌・舞踊の組み合わせで演じられるウイグルの総合芸術」という意味で理解されている。

ほとんどの地域で十二のムカームで構成されていることから「12ムカーム」と呼ばれている。
各ムカームは三部から構成されている。第一部はチョン・ナグメ(偉大な曲・大きな曲)と呼ばれる。第二部はダースタン(長篇叙事詩)、第三部はメシュレップ(歌と踊りの宴)からなる。

「12ムカーム」の歌詞は44人の詩人の詩から採られている。その中の表現が最も美しいウイグルの古典詩の邦訳を試みた。

作者のババ・レヒム・メシレップ(Baba Rehim Meshrep)はウイグル(ウイグルだけではない、中央アジア諸民族)古典文学を代表する最も有名なスーフィー詩人の一人で、1641年生まれ1711年没。

◆「逢いにきた」(日本語訳詩)

月の如く美しい君の顔を見るために来た
恋の炎でこの身を焦がすために 来た
君の美しい髪が 私の頭脳を乱し
その妙薬を君に問うために来た
潜水士になり 君の深海に潜り
探し求めた一粒の真珠を取るために来た
花の如く美しい顔の君よ なぜ来たかと問いているのか
君の美しさに魅せられ我を失うためにと答えよう
君の美しさを目の当たりにしてから我を失った
痴情になり 恋で狂うために来た
酒童(サーキー)よ!酒杯を用意したまえ
愛と哀しみの酒を呑むために来た
このメシュレップに 慈しみの門を開けたまえ
君への愛に 命を捧げるために来た

 

ウイグル12ムカームの名称
第一 ラーク
第二 チェビヤート
第三 スガヒ
第四 チャハールガー
第五 ペンジガー
第六 オズハール
第七 エジェム
第八 ウッシャーク
第九 バーヤート
第十 ナワー
第十一  ムシャーワラク
第十二 イラーク / アービチャシュマ

ウイグルムカームの歴史は1514年から1682年までこの地域を支配したヤルカンドハン国の宮廷音楽に溯る。この王朝は約170年近くヤルカンドを中心に、今のキルギスタンカザフスタンの一部分、パミール高原とイリまでの広い地域を統治していた。

体系化されたウイグルのムカームの最初の記録は、16世紀のスルタン・アブドリシット・ハンの時代のものである。この時代に、この体系化に貢献したとしてスルタンの妃アマンニサハンとその師匠ユスフ・カディルハンが「12ムカームの生みの親」としてしばしば語られる。

アマンニサハン(ネフイス)(1534-1567)は十六世紀のセイデハン王国の二代目の王、スルタン・アブドレシテハンの妻である。また詩人であり、書家でもある。彼女はタンブールの演奏に精通し、ペンジガー・ムカームの奏演は絶賛された。スルタンは彼女の才能に魅了され、プロポーズしたと言われている。

妃になった後、積極的にムカームに力を入れ、自ら作曲したイシレティ・アンギズィという曲を残した。さらにウイグルムカームの最初の規範化運動のリーダーの役割を果たした。また、『美を極めた詩の編shorul gulub』、『徳は美しさである ählāqi jämiliyä』などの著作を残した。これは後のウイグル文学に多大な影響を与えたのである。

https://youtu.be/s_fG3MM6G2U(part from Chebiyat Muqam)