「ある明治人の記録」に寄せて
今から30年ほど前、会津戦争に関心を持っていたときふと手にして読み始めた。戦勝側からではなく敗戦の側からの、しかも幼子の時に体験したことから始まって壮絶な様がえがかれている。歳月が経っても心を悟道に措(お)くことができず呻吟する一人の人物(柴五郎翁)のうめき声が心の中に聞こえ、涙を止めることができなかった。
生まれ故郷の隣が会津・・・その縁が紡ぎだした歴史を探る心の窓に写った物語(ひとつの断章)。
「峨峨たる大地」
柴五郎翁に捧ぐ
new バージョン
峨峨たる大地よ北の果ての
北斗の南の雪の原よ
心を悟道に措(お)く能(あた)わざりし
思いを胸に明日にむかう
我が故郷(ふるさと)にその身を埋(うず)めし
人々を思うと涙が
雪と泥土にまみれ血と縺(もつ)れあって
吹雪の声を聞きながら滴(したた)り落ちる
峨峨たる大地よ北の果ての
北斗の南の雪の原よ
心を悟道に措(お)く能(あた)わざりし
思いを胸に明日にむかう
作詞・作曲 historyninjin 2021/7/18
このブログ、なかなか本質を衝いていて秀逸です。
柴五郎翁
斗南藩について
歴史参考資料
幕末の風雲児、河井継之助(紙芝居)
小千谷談判(戊辰150年記念事業より)
八十里腰抜け武士の越す峠
会津もこのような戦いができればよかったのにと私は勝手に考える。河井継之助を見ながら、ふと小栗上野介を思った。それにしても徳川慶喜の歴史の読みの早さとその行動には舌を巻かざるを得ない。今後とも思索を重ねて行きたい。
庄内藩の健闘
京都を命がけで守った会津藩
追記(2022/6/4)
YouTube に載った柴五郎翁についての動画です。